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株式会社スプラム・中小企業診断士 竹内幸次が紹介された雑誌等の一部の紙面です。
企業診断2008年1月号
週刊ダイヤモンド特大号2005年11月5日号
リクルート「仕事の教室」2001年11月号
TACNEWS 2001年11月号
ダイヤモンド社「type(タイプ)」1996年5月28日号
【内容抜粋】
「受験勉強を始めたときは独立なんでまったく考えていませんでした」。こう切り出したのは、中小企業診断士の竹内幸次さん
(33歳)。竹内さんは昨年7月まで1部上場住宅資材商社に勤務していた。入社以来丸8年を広報関連部署で、退職する直前2年を輸入木材の販売部門で営業マンとして過ごした。中小企業診断士の受験勉強を始めたのは1992(平成4)年10月15日。彼の30歳のバースデーからである。「当時は広報部門での仕事もそれなりにできるようになっていました。そうすると欲が出てくるものです。会社をアピールするためにはもっと広報の仕事を戦略的に機能させる必要があると感じていました。広報はある意味でトップマネジメントと直結する仕事です。それを勉強するには中小企業診断士の勉強がちょうどよかった。そこで切りのいいパースデーから勉強を開始しました」。その日から、竹内さん曰く”サナギ時代の2年半″となる。碓かにチョウとして羽ばたくにはサナギの時代−−酒づきあいやデートも我慢する時期も必要なのかもしれない。 竹内さんの受験勉強は完全な独学。書店で通信のテキストを買いこんで、それを片っぱしから覚えた。平日は6時起床、7時には出社して
朝礼前まで約2時間勉強。昼は近所の食堂で15分で済ませ、あとの45分間は勉強。夜は夕食後1〜2時間。休日は近くの図書館で7〜8時間という勉強ぶり。
(後略)
月刊CYBiZ1997年10月増刊号「SOHOコンピューティング」
【内容抜粋】
1995年7月7日に中小企業診断士として独立した竹内氏は、当初2年間は自宅型のSOHOとして業務を行っていた。「中小企業診断士は経営コンサルティングを提供するのですが、受注のポイントは企業規模や知名度ではなく、私という人間への信頼なのです。ですからSOHOでも充分に受注可能ですし、多くの先輩診断士の皆さんも自宅兼事務所です」。
毎年の利益の半分は新しいパソコン関連機器やソフト、書籍頬の購入資金にあてることにし、事務所は後回しにした。
経営コンサルティングが主な業務だが、調査から診断、提案までの一連の流れと、講演や企業研修、クライアントの新規ビジネスに必要なパンフレットの作成、ホームページのコンテンツ作成等と幅広く受注している。そのためコンサルティング部門とコンテンツ部門の2部門に分け、それぞれアシスタントを1名ずつ雇用。「従業員は大きな固定費ですが、現在の2名は、それぞれの部門で“できるヤツ”を選び、機敏な対応と高い生産性を発揮しています。“普通のレベル”の従業員を抱えていてはSOHOの強みである“機敏さ”が発揮できません。2年間やってきて、「この人は」と思う2名に出会えて、本当にラッキーだったと感じています」(後略)
【内容抜粋】
スーツをぴしっと着こなされた竹内幸次先生には、経営コンサルタントというよりはむしろ、マスコミ界のいわゆるギョーカイ人というイメージがある…と、すでにこの先生を見かけた受講生の皆さんは、思われないだろうか。
もしもそう思われたとしたら、その人はかなり察しがよいといえるだろう。というのも竹内先生には、経営コンサルタントになる以前の華麗なキャリアがあるからだ。中小企業診断士の資格を取得する以前には、不動産関係の会社で8年にわたって広報活動に携わり、海千山千のプレス関係者を相手にしながら、社のスポークスマンとして活躍してきた時期があったのだという。「記者の方からの質問に対して、勤めていた会社の社長の考えを代弁してしゃべるのが、広報担当者としての私の役目でした。当然のことながら、当時は相当なプレッシャーを感じながら働いていましたね」と竹内先生は、その頃を回想する。
若くして、いわば社の看板を背負うようなその職務をこなすために、竹内先生は、自分なりの道具として何かしらの資格を取ろうと考えたのだという。そしていろいろと思索のうえたどり着いたのが、中小企業診断士の資格取得だったのだという。「幸い、その会社の社長自身が若い頃にやはり中小企業診断士の資格取得に挑戦し、パスした経験のある方でした。そんなわけで、私の資格取得に際しても、『大いにやりたまえ』 と社長から理解を得られました。こうして、この資格の受験を決意したわけです」。1994(平成5)年に第1次試験に合格。そして第2次試験には、2度目の挑戦でパスした。実習を経て、1995(平成7)年4月にはめでたく登録を済ませ、晴れて中小企業診断士になった。そして竹内先生の場合、資格取得後は早速、独立開業を目指したのだ。
それにしても、学生時代にはカーリーヘアーで、プロのミユージシャンになることを夢みていたのだというから、まったくこの世の中、ご本人みずからの言葉通り、「人生、どう転ぶかわからない」 のである。(後略)
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